自分が主人公だという認識を持つ
あなたが五感で認識している世界は、あなたが主人公です。
あなたが死ぬとその世界は閉じられます。
同時に今あなたが抱えている
あなたの選択や行動により生まれた、さまざまな緊張感、ストレス、問題が
ホロホロと解れていきます。
三次元で現実として体感していたときは、どんなにいろんなことを試しても解れなかった緊張が
信じられないぐらい簡単に解れていきます。
「ああ、こんなに簡単に解れていくのか」
と感じると思います。
心のつっかえやいろんな思い出、体験やその体験を俯瞰して見たり、これが走馬灯か、、なんてものも見たりします。
私は何度か臨死体験をしていて、直近の臨死体験では
「もう終わったのか」「そうか、もう終わりなのか」「ああ〇〇ちゃん(妻)との物語はもう終わりなのか、、あんなに心が通じる、あんなに一緒にいて楽しい人との物語はもう体験できないのか、ああそうか、もう会えないんだな、、」「それは嫌だーーーーー!!!」「〇〇ちゃんにまた会いたい!もっと一緒に居たい!」と強く思って、その思いが口から出たときに、戻ってこられました。
あのとき、体が深く沈み、意識が消失しかけたとき「あ、これ終わったんだな」と思ってから臨死体験がスタートした感じでした。
臨死体験をすると今この瞬間のさまざまな体験、五感で認識する世界、目の前で繰り広げられるいろいろな物語、人々との関わりなどが臨死体験前とは違うものとして認識されるようになります。
私の場合はそうでした。
人生の意味というか、今自分が何をしているのか?を理解し始めます。
臨死体験で一時的な死を体験したあのときは、すでに三次元ではないため、さまざまなことが容易に解決します。
三次元だからこそ容易に解決ができないのです。
おそらく私たちはそれを体験しにきているように思います。
三次元ではない別の次元では、三次元の体験ができないのです。
三次元ではない別の次元では、そもそも問題になっていないことが三次元では問題になっていたり、それを解決するのに心に苦痛が伴ったり、社会的な何かが起きたりとかします。
三次元で体験できること、時間は有限で、それも三次元での学びになっていると思います。
おそらく、この時間という概念も三次元独特のものなのではないかと思います。
時間というのは、三次元に居られる、まさに命の時間、体験できる命の時間、あなたが主人公としてこの三次元を楽しむことのできる時間なのです。
それを思い出すとこのライフの楽しみ方が変わってくると思います。
それでは、また♪
今日も素敵な花を咲かせていきましょう。