天狗と鬼と狐 その2
天狗と鬼と狐の続きです。
世の中にはハイリーセンシティブパーソン(以下HSP)という超敏感な人たちがいます。
本やインターネットで調べると5人に一人にその傾向があると言われています。
物音が気になったり、光がとても眩しく感じたり、近くの人の感情が伝染してしまったりします。
これは人によってどこにフォーカスしているのかにもよります。
実は私もHSPで、私の場合、音にとても敏感です。
セミナーを受講中、同じ空間にいる人がボールペンをカチカチ鳴らしたり、ノートにメモする際ガツガツ音を鳴らしていると、その音が耳に入ってきて講習に全く集中できません。
私はHSPという属性を知る前は、周りの人も私と同じように音が気になったり、光が眩しかったりしているものと思っていました。
みんな文句も言わずすごいなぁと思っていたりしました。
というのも、私にとって音や光に気になるということが非常にストレスだったからです。
たまたまある方に教えていただいたHSPの本を読んで、みんながみんなストレスに感じているわけではにことに気づきました。
道理でいままでこの敏感さが理解されないのかと目からウロコでした。
それから、自分がHSPだということを知り、楽になりました。
話は変わりますが、私の妻はHSPではありませんので、色々比較ができます。
私が気になることは気にならないし、私は認識しているけれど、妻は認識していないということが往々にしてあります。
たとえば、道ですれ違ったり見かける人の多くを私は認識しています。
私に注意を払ったり、私を意識して見ている人には大抵気づきます。
なにか、違和感を感じるのです。
以前は「気になる」という感覚が強かったのですが、最近は「気になるけれど気にしない」という認識はしているけれど前ほどではないぐらいの感覚になりました。
しかし、妻は道ですれ違ったり見かける人の多くを認識していません。
「そんな人いた?」
と言うのです。
おそらく、HSP以外の人は、自分にとって不要な情報はオートで認識しないようにしているのではないかと思われます。
さて、仮説の話は続きます。
HSPの多くは「天狗」なのではないかと思います。
「世の中のHSPの人」というエネルギーを拾い、「天狗」とやると、強い反応が現れます。
「世の中のHSPの人」というエネルギーを拾い、「鬼」とやると、天狗ほどではないのですが、多少反応があります。
ゼロではないという感じです。
これは「狐」も同様です。
私は常々、天狗、鬼、狐の中で、天狗は中でもマシな方と思っていました。
一概には言えないのですが、鬼は理不尽にキレたり、DVをする人の多くやパワハラする人の多くは鬼だったりする傾向があります。
こちらも一概には言えないのですが、難病の人の多くは狐だったりする傾向があります。
そういう意味では、天狗は自分の正義に反することをされたらキレるだけなので、マシだなぁと思うのも無理はないんじゃないかと思ったのです。
しかしです、私の周りのHSPの人はどうも天狗の人が多いなぁと最近気づきました。
そこで、リーディングしてみると前述の通り、HSPの人の多くは天狗なのではないかということに気づいたのです。
さて、この天狗、鬼、狐は一体なにかというと、これらは宿命ではないかと思います。
宿命についてはまた改めて書きますが、宿命は多くの人にとっては超えられないものだったりします。
しかし、本来の自分の人生を生きるためには不要なものだと思います。
なので、宿命を超えていく。
宿命を超えて生きていくにはどうすれば良いか?
私はいまそれを実験しています。
宿命を超えて生きていくことができれば、本来の自分、ピュアな自分で人生を謳歌できると思っています。
ピュアな自分で人生を謳歌するというのは、自分で目標を設定し、努力し、そこに到達し、また目標を設定し、努力し、到達するの繰り返しを経験することなのでは?といまの私は思います。
もしかすると、来年の私はまた別の解釈をしているかもしれません。
というのも、考え方はその時その時の自分の状態(以下ステート)によって変化するからです。
ステートによって見える世界、感じる世界が変わります。
同じ景色を見ていても、認識している世界が違うのです。
同じ情報に接していても、受け取れる内容が異なるのです。
話は戻りますが、私のHSPの状態が薄くなったり、なくなったりした場合、この場で報告します。
ただ、その方法について、表に出して良いのかわからないので、可能だった場合、その方法もご紹介します。